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早咲の桜と虹

昨日は曇天ときどき雨のやや肌寒い一日でした。

武蔵野市と江東区を2往復するという、ものすごい生産性の低い一日ではありましたが、まあこんな日もあるさというノリで首都高木場出口を出たものの、左折すべきところを右折。
どうも最近この手の勘違いが増えてきたような、やっぱり年なのかしら、、、

おかげで横十間川に沿って戻ることになり、新発見。上流のソメイヨシノは知っていたものの、下流に緋寒桜と河津桜の並木があったのは知りませんでした。

両方ともソメイヨシノより半月程度の早咲ですが、すでに満開ピークをやや過ぎたかなという程度でまだまだ十分見頃でした。今日の日曜日はたくさんの人出があるんじゃないでしょうか。

本命のソメイヨシノの開花もあと1週間から10日くらいでしょう。
二度の花見を楽しめる横十間川、なかなかに桜の名所です。
特に木場周辺の昔を知っている私には驚きの変貌ぶりでありますね。

こちらが緋寒桜(寒緋桜ともいうらしい)で
緋寒桜2
緋寒桜1


こちらが河津桜だと思います。
河津桜2
河津桜1JPG

二度目の帰り道、重苦しい空から雨が降り出し、箱崎インターあたりで西日を受けて面白く大きな虹が曇天に出現。
こんな二重の輪になったような虹は記憶にありません。

おかげで昨日はラッキーが二回。

面白い虹

漢 緑釉銀化小壺

中国 漢時代の緑釉銀化小壺です。

かつては大変高価なものでしたが、中国の大型開発によって各地から大量に出土し、今では大暴落といっても良いほどの価格で手に入るようになりました。

この壺は類品の中では小型の部類に属する、ちょうど良いサイズ感で私には好ましい壺です。

高さ=14㎝   口径=7.4㎝  高台径=7.7㎝

一括りに緑釉銀化といっても副葬品として2000年近く土中にあったものですから、銀化の程度は様々です。
状態の良い美しい銀化を呈した作品は案外に少ないのですが、本作は好ましく程よい銀化状態であるといえます。

なかなか銀化の状態を写真に収めるのは難しいのですが、頑張って撮影してみました。
土錆の付着も少なく、全体に綺麗です。
オパールのような美しい光彩は、鉛釉が長い時間の間に化学変化して生まれたものですが、これは贋物の緑釉陶によくある薬品処理されたものでは決して出せない美しさです。

仔細に見てみると、幾重にも折り重なったような微細な貫入があります。これももう一つのポイントでしょう。
小品ながら見所の多い小壺です。

th_緑釉銀化壺1
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金剛力士像 頭部残欠

阿吽とは仏教の呪文(真言)の1つで、阿は口を開いて最初に出す音、吽は口を閉じて出す最後の音であり、そこから、宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされたという。
勿論この手の話によくあることですが、他にも色々な解釈があるようです。

ご紹介するのは金剛力士像頭部残欠で盛唐期のものと思われます。
上述の例で言えばこの像は吽形ということになりますね。

阿吽一対の形式になったのは唐時代あたりからという説もあるようですが、この像が阿吽一対だったかどうかはわかりません。
いずれにしてもこの像は仏敵から仏あるいは仏教を守るお役目だったのでしょう。

高さおよそ17㎝(台座別)

th_金剛力士1
th_金剛力士2
th_金剛力士3
th_金剛力士4
th_金剛力士5
th_金剛力士6
th_金剛力士7
th_金剛力士8

横から見た頭部の髪型を見ると典型的な唐時代の髷。
この部分はルーペで見ると微かに緑彩が残っていて多分髷全体が緑青色だったことを思わせます。

他にも、全体に白化粧をした上に金彩を施し、眉は臙脂色、目は黒、口元は朱色などを塗り分けています。
小さい像なのですが良質な石灰岩を使用しているからか重いですね。

th_金剛力士9
th_金剛力士10
僅かに残る首筋にも忿怒の形相の表現がみてとれます。
th_金剛力士11
右耳から後頭部にかけては特に金彩がよく残っていて、黄金に輝く金剛力士だったことが窺えます。
th_金剛力士12

二宮金次郎像

今日の仕事先は千代田区三番町。

小学校入り口に、今時は無くなったと思っていた懐かしい二宮金次郎の像が建っていました。
まさか東京のど真ん中の小学校でこれを見るとは、、、、、、

ネットの記事にこんな文章がありました。
全国の小学校で、老朽化や学校建て直しなどに伴い、二宮金次郎像が撤去される現象が進んでいるといいます。
その背景には、「児童の教育方針にそぐわない」「子どもが働く姿を勧めることはできない」「戦時教育の名残という指摘」「『歩いて本を読むのは危険』という保護者の声」などもあるといいます。

th_th_DSCF2548.jpg

記憶に残る顔とは違い、随分とイケメンで今時のような気がしますが、
台座の石に刻んだ文字の潰れ具合と右から左の横書きをみると、鋳造されたのは案外に古いんでしょうかね。
横書き日本語の右書きから現在の左書きに変化したのは戦後あたりからではないかと思うのですが。

th_th_DSCF2546.jpg

足元はちゃんとわらじを履いていますね。

th_th_DSCF2547.jpg

唐 如来坐像残欠



th_唐如来坐仏2

唐時代の如来坐像残欠です。高さ=37㎝(台座別)

残念ながらお顔がありません。廃仏毀釈により破壊されたものはほとんどの場合、お顔と手を壊されています。
しかしお顔のないこの状態すらも許されるような圧倒的な存在感があります。

唐時代(618〜907年)になると肉体や衣の表現に写実的、自然主義的な傾向が見られるといわれますが、この座仏についても、彫りの深い衣紋やふくよかで写実的な身体の表現が見て取れます。

ミロのヴィーナスの場合でも欠損が無く、完全な状態であったらはたしてこれほど人々を魅了するものであったかどうか。
不完全の美、あれこれと思いを巡らす余韻の美なんでしょうか。

そういえばミロのビーナスは1964年に日本に来て東京と京都で展示されました。
最初で最後の国外展示だったそうですね。

当時私は18歳。
大変な行列をして国立西洋美術館でほぼ歩きながらの鑑賞をしたこと、何かよくわからないものの素晴らしいなと感動したことを覚えています。

th_唐如来坐仏3
th_唐如来坐仏4
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th_唐如来坐仏8
th_唐如来坐仏9
th_唐如来坐仏10

石の状態から見れば土中に埋められたものではないのではないか、だとすれば石窟のような場所で打ち捨てられたものか、石種はなんだろうか、石灰岩ではないようだし、大理石のような、砂岩系のような風化しやすい石のような。
石の虫食い状の穴はなぜできたのだろうか。いろんなことを考える必要がありそうですが、なにはともあれ美しい。

th_唐如来坐仏11
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th_唐如来坐仏13
th_唐如来坐仏14

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