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バルナック ライカ

大変状態の良いバルナックライカIIIfです。
シリアルナンバーからみると1951~52年にかけて製造された個体です。
どこを見ても擦り傷一つなく、60年以上も前の製造なのに今まで何処で眠っていたんでしょうか。
ボディのグッタペルカ(張り革)も同様に生まれたばかりのような状態です。
使用すれば傷がつきがちな軍艦部や底蓋にも一切傷はありません。




幸いなことにシャッターも各スピードで軽快に切れて、粘るようなこともありません。
ファインダーの合焦、コントラストも良好です。




シリアル Nr.581165
Summaron 35mm/f3.5 を装着してみました。

こちらはSummitar 50mm/f2.0 の鏡筒沈胴状態

Summitar 50mm/f2.0 鏡筒を伸ばした状態。

こちらは別の個体で同じくⅢfですが、こちらは実使用で楽しむために入手したものです。

レンズは純正の Elmmer 90㎜f/f4.0です

この個体のシリアルナンバーは Nr.566844 で、1951年製です。
後付ファインダーは旧ソ連製のターレットファインダーで、28・35・50・85・135mmの5種類の視野切替が出来ます。ソ連製のものとしてはなかなか良く仕上がっています。何より見た目が楽しいですね。


Ⅲfはバルナックライカとしては最終型のモデルでその後は今に続くMシリーズになっていきます。
バルナックタイプのⅢgもありますが、このモデルはその後Ⅲfの復刻版みたいな形で発売されたものです、一部にMシリーズの機構を取り入れていますが、実質的なバルナックライカの最終型はⅢfでしょう。
Ⅲfにはセルフタイマー付のモデルも追加されましたが、デザインとしてはタイマーの無いモデルの方が洗練されているように感じます。Ⅲfは戦後間もないドイツの製品としては驚くばかりの完成度で、オスカーバルナックの遺産の最後を飾るモデルにふさわしいカメラではないでしょうか。

秋が来た

10月も後半に入り、東京周辺にもそろそろ本格的な秋の訪れです。
昨日仕事で行った先の駐車場の桜も葉先から紅葉が始まりました。
th_P1350001.jpg

我が家の接木苗3年目の柿の木に今年は実がつきました。
ささやかながら5つの柿を収穫、今年はこれで全部です。来年はもう少し大きい実が収穫できるんじゃないでしょうか。
地植えではなく鉢栽培で玄関の横の隙間に置いているのですが、北側の隙間に地植えしようと思っています。
柿は移植が難しいと聞きます。ましてや日当たりの悪い北側の小さな庭ではどうでしょうか。
まだ小さな苗木みたいなものですから、ひょっとしたら定着してくれるかもしれません。
日射時間が少なくなるので鈴なりの柿の実は難しいでしょうけれど。
th_P1350031.jpg

備前小徳利

備前研究第一人者の桂又三郎先生の箱には、献上小徳利(箱表)・江戸初期之作とあります。
類品少なく珍品也ともありますが、こんな小さなものをなにに使用したのでしょうか。
振り出しだろう(金平糖がこの口に入らないし入っても振り出すのは大変でしょう。)という人もいました。
店主は大きなものを作る前の試作品だとも言っていましたが。30年経った今でもこれには納得していません。
桂先生の箱が欲しいから手に入れたというのもありますが、小品ですが姿が良く楽しめる品です。



高台は糸切となっています。

桂又三郎の箱書きです。

伊万里色絵布袋被せ香炉

ご覧の通りの布袋さんです。
湯島天神の裏門に近い古美術店のウインドウに置かれていました。
たまに通るのですが、いつも気になるものを一点だけウインドウに置いているお店でした。
湯島天神裏門に近いと書けばご存知の方はお分かりになるのかもしれませんが。
いつも車で通り過ぎるのですが、これの時はちょっとだけウインドの前に車を停めて見てしまいました。
歩道をまたいでのちょっと見ですから、良くは判らないものの、柿右衛門の人形かなと思いつつ発進しましたが、どうも気になる。
それから数日後又、その前を通るとやはり座っていました。
概ね月に一度程度ウインドウの置物を変えていたようですが、なにせ好きな伊万里の数少ない人形ですから気になってしょうがない。結局車を停めていざ店内へ。店主は勿論柿右衛門と言っていました。
奥の床の間に置いてみるとやはりいいんですよ。もう一目惚れですから勿論悪く見えるはずもなし、
柿右衛門という部分には若干の疑問を感じながらも翌日引き取りのお約束成立で帰りました。
普通に布袋人形の置物と見えたのですが、被せ香炉でした。



顔もそんなに悪くはありません。

結構使い込んだ香炉とみえて、中は煤だらけです。

後ろです。私には柿右衛門様式ではなく古伊万里色絵と見えますがどうなんでしょうか。
どう見ても柿右衛門の色使いとは違うと思いますが。



上半身はあまり傷もなく綺麗ですが、腰から下は割れもあり、色落ちも目立ちます。
中で香を焚くせいでしょうか。

西岡小十絵粉引茶碗

唐津陶の研究と作陶で知られる小十さんの絵粉引茶碗です。
小山冨士夫指導のもとで小次郎窯を開いたのが1971年・54歳の時だそうですから、私がこの茶碗に出会ったのはそれから5年後くらいの頃ではなかったでしょうか。小十さんの略歴をみると、その頃荒川豊蔵、藤原啓など錚々たる方々が窯に行っておられるようで、互いを刺激し合っていたのでしょう。今となっては皆様故人となった日本の名工達です。
この茶碗は売り物ではなかったのですが、当時親しくしていたお店の店主に無理矢理譲ってもらったものです。
その店主もこの碗は売り物にしないということで無理矢理小十さんに箱書きをしていただいたそうですが、帰途京都に立寄り、南禅寺さんの誰方かに残雪の銘を頂いたようです。
聞いた話ではこの碗は初めての粉引だったということですが、小十さんほどの作家が火割れの入った高台の茶碗を売り物にするはずもなく、店主も私に見せたのが運の尽きで小十さんとの約束を破ることになってしまいました。
40年以上も経ってもう時効ですけれど。

石ハゼの具合も程よく、鉄絵にも勢いがあります。

しばらく使用し、少しばかり雨漏りも出てきて残雪の風情が更に増しました。

見込みの茶溜まりもこれまたほど良く、茶筅摺りは滑らかに仕上がっています。

畳付きの座りがやや悪かったのでちょっと擦ってしまいました。これは少し後悔しています。

この頃の小十さんの字は勢いがあります。
作品も初々しい感じと勢いが感じられて大変気に入っている一品です。

平戸月兎図皿

平戸の兎と月です。

兎と月の題材は伊万里では大変多く取り上げられ様々に描かれいます。
初期伊万里の吹き墨の兎などはその最たるもので、まさに垂涎の的です。

それにひきかえ今回の皿は時代も若く、吹き墨の兎より多分150年以上は若いと
思いますが、なんとまあ斬新でモダンな意匠でしょう。
これを見つけた時は一瞬の迷いもなく何処のもの・どの時代とも考えず購入しましたが。
40年以上も前の私には勿論何処のものか見抜く眼力なぞあろうはずも無いわけで、自分のものにしてから、おもむろに店主に『何処ですか』と尋ねるしかありません。

店主は平戸と言い切りました。
40数年経った今、改めて見て素直に平戸とすべきか波佐見か伊万里か悩ましいところです。

何処のものであれ、淡い染付と薄瑠璃釉で描かれたこの意匠は江戸後期の自由闊達な空気を感じられる私の逸品です。薄瑠璃は夜の表現なんですね、これ今更ながらですが。



この兎は月を見てるんですよね。
月周回衛星かぐやが撮影した写真の月にこの兎達を置いてみると、どうもこれは地球を見る兎かな、なぞと見えるような気がするのですが、そんなことはないですね。

かぐやー地球

薄瑠璃釉に白抜きの兎と月、シンプルな構成の妙と描線の確かさがこの皿のすべてでしょうか。

月兎5

月兎4

やや端反りで厚手の皿です。くらわんかのような重量感です。
これを購入した店主に敬意を表して、一応タイトルは平戸の月兎としておきます。

月兎2

柿右衛門色絵草花文水注

色絵の柿右衛門水注です。

これで蓋が残っていれば、どこぞの美術館の隅っこにでも入っていそうなものですが残念ながらありません。

この手の物はほぼ100%東インド会社を通じて当時の欧州に輸出され国内には流通しなかったものですから、これも俗にいう里帰り品です。

注ぎ口の金物はあちらで補修したもののようです。

注ぎ口先端が欠けたのでそうしたのでしょう。

欠ける前から金などで装飾したものもあるようですが、この場合はそんな上等なものではなく、実用品として使用する為の補修だと思います。

しかし当時としても相当に高価だったはずで、現代と違ってそう簡単に買えるものではなかったでしょう。

修理の跡からすればティーポットとしてそれなりの頻度で使用されていたと思うのですが、色釉はかなりしっかりと残っています。とても大切にされていたのだろうと思いますね。

絵柄は裏表がありません、まったく同じ絵を描いています。

梅と芥子の花、菊。草花文としましたが、梅花文のほうが適当でしょうか。

前から注ぎ口th_DSC_3357.jpg 後ろから持ち手部分。th_DSC_3360.jpg ところで持ち手についている赤い札はサザビーのオークションのもので、これはロンドンだったと思います。

1983年とありますから、これを手に入れてからもう30年以上経っているわけですが、このポットとしては遠い昔に日本を旅立ってから300年ぶりの帰国ということになるんですねth_DSC_3364.jpg 実は、落札したものには口辺に僅かながら欠けがありました。

綺麗な品物だけにそれがとても気になっていましたので、入手して3年たったあたりで、共直しに出しました。

戻ってきた時は驚きの一言で、傷の跡はまったく判らなくなりました。

30年経った今では何処が傷だったのか覚えていないので尚更判りません。

日本の古美術品の修復技術には脱帽です。(確かブラックライトを当てると修復部分が見えると聞きましたが)th_DSC_3363.jpg 1983年朝日新聞社主催 柿右衛門の世界展に出展された同形の水注です。

やはりあるべき蓋があると立派ですね。

よく見ると、注ぎ口に窯傷らしき亀裂が入っています。

このことからも濁し手生地はよほど歩留まりが悪かったのだろうと想像します。

色絵草花水注

藍鍋島唐花文輪花向付

藍鍋島の輪花唐花文向付です。
いかにも盛期鍋島らしく、成形にも破綻がなく、絵付も精細です。
鍋島の向付は各種図録で発表されていますが、本作品と同一の器形には工藤吉郎先生の著作[鍋島]の中で採り上げている青磁向付があります。
三陵・三輪花の少々大振りの向付とあり、元禄初め頃までの作とされています。
この作品もその前後とみて良いのではないでしょうか。
こちらは唐花文で良いと思いますが、

こちらは宝文になるんでしょうか。

高台もまったく破綻無く丁寧に作られています。


塗り込んだだけのように見える葉もしっかり葉脈を書込んでいて、
さすがに手抜きががありません。

山陵・三輪花


工藤吉朗著【鍋島】から転載させていただきました
鍋島青磁向付
今回私のささやかな蒐集品をブログに記録していこうと思いつき少しづつ写真アップしていますが改めて自分の撮った写真を見てつくづく写真の難しさを感じています。
今回の鍋島も生地の色が実際よりも黄色味を帯びています。
無理に色温度を変えても肌の柔らかさが消えていくような気がして納得のいく磁肌の感じが出ません。
もっと努力ですね。

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