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平戸三鶴図小水指

平戸です、シンプルに三羽の鶴だけを描いて大変上品な雰囲気です。

水指としましたが実際のところはわかりません。水指にしてはちょっと小振りで、まさかこの形で火入れでもないでしょうし。

入手は30年程前のことになりますが、その頃茶席の「こぼし」だよという人がいましたが、さアどうでしょうか。お茶をやらない私にはわかりませんが、こぼしにしてはチト上品すぎるような。

塗り蓋を付ければ水指で通用するサイズ(高さ:123㎜ 口の直径:85㎜)ではあるので一応小水指ということにしておきます。

平戸小壺1平戸小壺2平戸小壺3時代が難しいです。肌の感じと絵付けから幕末まではいかないように思いますが、江戸後期という表現になるんでしょうか。盛期の肌ではないと思っています。なんと言ったら良いんでしょうか、むしろ柿右衛門の濁し手に近い光沢のあまり無いトロッと柔らかい肌なんですね。甘手ではありません。1800年代半ばというところが無難でしょうか。平戸小壺7高台周りにもう少し厳しさがあれば少しだけ時代を上げたいところですが、どうもここが甘いと感じています。平戸小壺8

神宮外苑銀杏の紅葉(黄葉)

赤坂への仕事のついでに外苑の銀杏を、と思ったら「いちょう祭り」ということで車と人々で大混雑でした。
今年の紅葉は例年よりきれいではなかったですね。こんなに人出があると風情も何もありません。
銀杏の紅葉ということに違和感を感じながらそのままにしていましたが、銀杏は見た通りの黄葉でした。季語にもあるのにiPad辞書は おうよう を一発変換しくれないんです。ごめんなさい、今更ですから紅葉でいきます。

th_外苑銀杏1

th_外苑銀杏8

th_外苑銀杏7

th_外苑銀杏6

平戸秋草図香炉

平戸のやや大振りの香炉です。
表に萩と桔梗、裏が菊と桔梗にススキでしょう。    秋草図です。
九州陶磁文化館の所蔵品に裏絵とほぼ同一文様の皿がありますが、その高台内には享保8年(1723)の紀年銘が有ります。この香炉についてもそれから大きく離れることはないと考えます。
その解説に「釉面はしっとりとしていて光沢があまりない」と書かれています。この香炉も、写真の通り釉肌は程よい光沢があり柔らかくしっとりとしています。
江戸後期のものと比べると、この時期の平戸の肌は共通してこの感じが多いように感じます。 
火屋の細工は、さすが平戸という技を尽くした精緻な透かし彫りです。

メープルの街路樹 二番穂 消火栓 その他

今日は仕事で千葉県の大網白里市まで行きました、日曜日なんですけどね。

山田インターチェンジを下りて暫く走ると、あまり見慣れない街路樹が整然と並んでいるのです。この時期ですから紅葉していますが、車を下りて見てみるとメープルのようでした。

メープルというと真っ赤な紅葉というイメージがありますが、昨日見た目黒川沿いの桜の方が赤いくらいです。千葉県は温暖の地ですから赤くなりきれないんでしょう。一部にこの位の赤が混じっていました。念のためウィキペディアを見てみると、私の理解は少し甘いようですね。以下に引用しておきます。

カエデ(槭、槭樹、楓)とはカエデ科(APG植物分類体系ではムクロジ科に含める)カエデ属 (Acer) の木の総称。モミジ(紅葉、椛)とも呼ばれるが、その場合は様々な樹木の紅葉を総称している場合もある。童謡などで愛でられるものはそれである。赤・黄・緑など様々な色合いを持つ為、童謡では色を錦と表現している。また、英語圏では一般にMaple(メイプル、メープル)と称する。

田圃を見ると穫り入れ後の二番穂がしっかりと実をつけています。これは刈らずに鋤き込んでしまうそうです。

この田圃の脇に消火栓が、、、、最近この形は見かけません。これが設置されてから実際に使用されたことはあるんでしょうか。(消防訓練以外で)

この田圃と道路の間に用水路があり、これまた昔ながらの景色でした。最近の農業用水路は農地整備でコンクリート造りばかりが目についてしまいます。

ススキの葉が枯れるといよいよ秋も終わりますね。

東京の秋 5 目黒川

今日は目黒川に架かる中黒橋を渡りました。なんと、見たかった桜の紅葉があるじゃないですか。車を止めて写真を撮りましたのでご紹介です。

ちょっと遅かったような感じですが桜並木の紅葉の雰囲気十分でした。

西側がより綺麗に紅葉しているのは日当たりの違いですね。午前中に十分な日光を浴びて、午後はビル郡で日陰になります。

そういえば、前回ご紹介した千鳥ヶ淵の桜は概ね北側でした。

th_目黒川5

th_目黒川1
th_目黒川6沿道の遊歩道th_目黒川3中黒橋のバス停です。すっかり秋らしい雰囲気になっています。

今年は木枯らし1号が吹いた後、ほとんど冬型の気圧配置にならないそうで、今日も暖かったです。車の中ではやや冷房が欲しいくらいでした。

th_目黒川2

今日の仕事先から見た雲、秋の代表イワシ雲でしょうか。

下に見える緑色の長~い平屋の建物は、防衛省艦艇装備研究所なんだそうです。中には長~い水槽があったりするんですよね、きっと。目を西に向けるとなんと富士山が、、、この秋初めての雪を被った富士です。th_富士

東京の秋 4 木場公園

通りがかりの秋探訪4。
今回はこれも毎日のように車で前を通る公園です。

木場公園はちょうど見頃の紅葉でした。銀杏の黄色と欅のくすんだ紅い紅葉、常緑の緑で見栄えがします。
残念ながら、紅いモミジはありません。

木場公園1
木場公園10
木場公園3
木場公園2
木場公園4
木場公園5
木場公園8
木場公園6
木場公園9

エルマー 50㎜F3.5

バルナックライカ定番レンズのエルマー50㎜をようやく入手しました。前から欲しいと思いながらなかなか状態と価格で合うものがなかったのです。

鏡筒収納状態でのコンパクトさにはついウットリ見とれるほどの魅力があります。


ライカのズームフード・FIKUSを装着してみました。A36径のいろんなレンズに対応可能です。フードの長さを押しネジで調整して35~135mmに対応出来ます。しかし、現実には結構な先重になります。

せっかくのコンパクトなエルマーには装着して撮影をする気にはなれません。



フードつながりでもう一つ変りものをご紹介します。

ライカ ズミタール専用の折り畳みフード SOOPDです。多数あるライカのフードの中で、唯一の折り畳み式フードです。ズミクロンにも使用することができます。広げた場合の概略寸法は、横83mm、縦59mm、奥行き46mmの箱型です。畳むと厚さ10mmほどになります。2本の爪でレンズに固定できます。

ズミタールとズミクロンが同時に販売されていた時代に作られたものだそうですが、これまたとても実用にしたいと思えるものではありません。それにしてもこの頃のライカレンズやアクセサリーは個性的です。

いずれも今ではコレクションアイテムでしょうか。

折り畳んだ状態使用状態FIKUSとSOOPD

東京の秋 3 猿江恩賜公園

江東区にある猿江恩賜公園。毎日のようにこの前を走っているのですが、立ち寄ったのは初めてです。
清澄庭園・小石川後楽園・六義園・旧岩崎邸庭園・旧安田庭園・向島百花園・新宿御苑等々少し思い浮かべるだけでも、普段から前を通っていながら立ち寄っていない公園がたくさんあります。

猿江恩賜公園はウイキペディアによれば

   • 1733年 - 江戸幕府公認の貯木場として開かれる。
   • 1924年 - 皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)の成婚を記念して、猿江貯木場の一部を東京市に下賜(現在の南園部分)。
   • 1932年4月29日 - 南園部分が、猿江恩賜公園として開園。
   • 1945年 - 東京大空襲 焼死者の仮埋葬地となる。
   • 1972年 - 猿江貯木場廃止、東京都が跡地を買収(現在の北園部分)。
   • 1981年 - 北園、一部開園。
   • 1983年 - 北園完成に伴い、全面開園。

そもそも江戸時代から続いた貯木場だったんですね。角乗りや梯子乗りを小学生の頃にこの辺りで見たということになるのですが、隔世の感があります。

その旧貯木場の公園も秋が徐々に深まっているようです。

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th_P1540046.jpgth_P1540048.jpgth_P1540049.jpgth_P1540051.jpgth_P1540056.jpgth_P1540057のコピーth_P1540055.jpg

伊賀耳付花生 谷本光生作品

桃山伊賀復興に努めた谷本光生さんの耳付花生を紹介します。

大正5年生まれの谷本さんが古伊賀に感銘を受け昭和21年に洋画家から陶工に転身したのは30歳という。 そこから古伊賀再興に精進し、制作に励みました。今回ご紹介する花生は1970年代後半頃に入手した物ですが、この頃には古伊賀を超えたとはいいませんが、その域には達したといっても過言ではない作品群が生まれています。

以下に谷本さんの著書から引用しながら書かせて頂きます。 俗に「伊賀の七度焼き」と言われますが、実際に七度も焼成したわけではなく、何回もあるいは何日も焼いたことの喩えであると谷本さんは言っています。

六古窯の焼物は通常焼成回数は、日数は別にして回数は一回です。しかし伊賀の粘土は二、三度同じ作品を焼き、あるいはそれ以上に焼くことにより「釉」「焦げ」「火色」を出している。

今回ご紹介する作品も何度かの焼成を繰り返し火前の強火度で焼ききっているように思えます。

この作品のような伊賀特有の焦げは窯の最前列の一番下に窯詰めをしたものだけに現れる現象だそうです。ここは燃えた松薪が燠(おき)となってそれが積もって器に炭素が入って焦げが付く。裏側には火色が出る。伊賀の火色は極めて高い温度(1400度)での焼成なので信楽の緋色と異なり、よく焼き締まった素地の上に焼きついた「焔の色」そのものなのだと、谷本さんは著書に書いています。

谷本光生著 [伊賀焼] 2009年5月発行より「伊賀焼と私」の一部分引用

いろいろな道程を経て現在まできた。ずいぶんと回り道もした。しかし、近道をした者が遠くまで行くとは限らない。かえってかけがえのないものを得たことも多くあったと思っている。その間、現在に至るまで、絶えず造形を工夫し、格調の高い作品をと、一貫した制作態度を持ち続けてきた。

作品にねらいや構えがあってはいやしくなる。技巧にかたよらず、器用に陥らず、そして作品は落ち着いていて、深さがあるようにと努めてきた。(原文のまま)

伊賀花入れ05

伊賀花入れ06

伊賀花入れ07

伊賀花入れ09

伊賀花入れ08

伊賀花入れ10

首周りのビードロ釉溜まりも見所です。

伊賀花入れ11

伊賀花入れ12

伊賀花入れ13

伊賀花入れ14

伊賀花入れ15

火前の焦げ

伊賀花入れ16

火裏の火色「焔の色」

伊賀花入れ17

伊賀花入れ18

伊賀花入れ19

伊賀花入れ20

初期伊万里 松竹梅図筒向付

初期伊万里ですが、生まれは筒向付でしょうかそれとも大きめのぐい飲みでしょうか。私の前の持ち主は余程お気に入りだったようで、肌がトロトロになって口辺の金繕いの部分も直しの漆肌が見えるほどになっています。多分毎日のように晩酌を楽しんだのでしょう。
土物の器が使い込んで育っていくのは判るのですが、甘手でもないしっかり焼き上がった伊万里がこんなにしっとり肌になるとは、、、、
松・竹・梅の三図とも簡略化されながらも、力強いいかにも初期の描法です。特に松は大好きです。

高台は少し擦っていますね。砂高台で座りが悪かったのでしょう。

高台周りの釉溜まりは青みがかかって薄い青磁のような色合いです。

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