2015/11/13
桃山伊賀復興に努めた谷本光生さんの耳付花生を紹介します。
大正5年生まれの谷本さんが古伊賀に感銘を受け昭和21年に洋画家から陶工に転身したのは30歳という。
そこから古伊賀再興に精進し、制作に励みました。今回ご紹介する花生は1970年代後半頃に入手した物ですが、この頃には古伊賀を超えたとはいいませんが、その域には達したといっても過言ではない作品群が生まれています。
以下に谷本さんの著書から引用しながら書かせて頂きます。
俗に「伊賀の七度焼き」と言われますが、実際に七度も焼成したわけではなく、何回もあるいは何日も焼いたことの喩えであると谷本さんは言っています。
六古窯の焼物は通常焼成回数は、日数は別にして回数は一回です。しかし伊賀の粘土は二、三度同じ作品を焼き、あるいはそれ以上に焼くことにより「釉」「焦げ」「火色」を出している。
今回ご紹介する作品も何度かの焼成を繰り返し火前の強火度で焼ききっているように思えます。
この作品のような伊賀特有の焦げは窯の最前列の一番下に窯詰めをしたものだけに現れる現象だそうです。ここは燃えた松薪が燠(おき)となってそれが積もって器に炭素が入って焦げが付く。裏側には火色が出る。伊賀の火色は極めて高い温度(1400度)での焼成なので信楽の緋色と異なり、よく焼き締まった素地の上に焼きついた「焔の色」そのものなのだと、谷本さんは著書に書いています。



谷本光生著 [伊賀焼] 2009年5月発行より「伊賀焼と私」の一部分引用
いろいろな道程を経て現在まできた。ずいぶんと回り道もした。しかし、近道をした者が遠くまで行くとは限らない。かえってかけがえのないものを得たことも多くあったと思っている。その間、現在に至るまで、絶えず造形を工夫し、格調の高い作品をと、一貫した制作態度を持ち続けてきた。
作品にねらいや構えがあってはいやしくなる。技巧にかたよらず、器用に陥らず、そして作品は落ち着いていて、深さがあるようにと努めてきた。(原文のまま)






首周りのビードロ釉溜まりも見所です。





火前の焦げ

火裏の火色「焔の色」


