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瀬戸褐秞茶入 桃山時代

現在のところ蒐集品の中で桃山時代とほぼ確定できる唯一の品という意味で、私には大変貴重な品です。(もうコレクションが増える見込みがほぼないので、、、、、)
口縁にわずかな欠けがありますが、窯跡からの掘出し品としてはほぼ完品と言っていい状態なのが嬉しい限りです。二カ所の欠けのうちの一つは40年ほど昔に風呂場で洗っていて、ついコロッと手を滑らした時のもので惜しいことをしました。(いずれ金繕いでもしたいなと思っています)
窯跡の掘出しというのは、まあ盗掘品ということですね。
後述しますがこの窯の公的な発掘調査は2003年で、購入したのはその25年ほど前の事ですから。

400年ほど土中にあった物ですから、さすがにややカセた部分もありますが、釉肌の光沢は十分に残っていて鑑賞あるいは実用に耐える状態です。
入手当時、一週間以上ハイター漬けにしてみましたがやはり細い貫入に入り込んだ土は抜けなかったですね。茶入としての実用には必要なことですけれど。

茶入としてはかなり厚手の造りです。入手当時古美術大先輩に厚手の茶入はダメと言われて意気消沈したものですが、この窯の茶入は二手あると後述の報告書にもあり、今はこれで良いのだと思っています。

茶入に石はぜの景色が良いとは言い難いので、このあたりが物原に放置された要因でもあるのでしょうか。

400年の土中の痕跡ですね。

胴紐と黒釉の溜まりが景色となっています。

仕覆と牙蓋は当然の後付けです。
th_DSC_3448.jpg

箱書は菊田清年さんで 桃山時代 平次窯としています。幣子窯(ヘイジ窯)を平次窯と表現しているようです。
以下に愛知県埋蔵文化センターの報告書のごくごく一部を引用させて頂きます。
http://sitereports.nabunken.go.jp/files/attach/1841/1492_1_%E7%93%B6%E5%AD%90%E7%AA%AF%E8%B7%A1.pdf
瓶子窯跡の発掘調査は、東海環状自動車道建設に伴う事前調査として、国土交通省愛知国道事務所より愛知県教育委員会を通じた委託事業として、平成 15 年 4 月から 6 月の期間で実施した。
調査した瓶子窯跡の位置は、赤津村の近世の窯跡のほとんどが赤津川以北の丘陵部集落内に造られたのとは対照的であり、集落から離れ単独で存在する特異な立地であることが指摘されてい た。またこの窯の周辺は、多くの茶入が散布する場所として古くから知られており、その骨董的評価の高さからごく近年まで周辺の物原は激しく盗掘が行われていた 。
この窯で生産された茶入の評価を高めてきた理由はその名称にもある。「瓶子窯」の名は小堀 遠州の門下の茶人が記したとされる『茶器弁玉 集』(寛文 12 年(1672)に編纂)「瀬戸竃所之 次第」に「一 瓶子竃 藤四郎此竃ニテ唐物ヲ焼 ト云説アリ」とあり、陶祖藤四郎が唐物写しの茶入を焼成したという伝説の窯の名称として挙げられている。勿論、調査した本窯は藤四郎の活動したとされる鎌倉時代の窯ではない。ただ『茶器弁玉集』の成立年代と本窯の操業年代はほぼ一致 しており、なおかつ「茶入」を最も大量に焼成していた窯であることは確かであり、ひとまず「瓶子窯と呼称されている *2。
*2...ただし「ヘイジ窯」と呼ばれていた可能性はある。『瀬 戸市史 陶磁史篇一』では「うふふはむへへし」と刻まれた直径9cm 程度の壺の底らしい陶片について紹介されており、ここでは混同を避け遺跡に「平次窯」の文字を当てている。また安藤政二郎 1941『瀬戸ところどころ今昔物語』(大瀬戸新聞社)では「赤津地方の言い伝えによれば平次という窯焼が焼いていたので[へいじ窯]の名が伝えられた」とある。
発掘品の写真を1枚転載させて頂きました。

菊田清年さんの箱書です。

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